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イスラエル・タイムズ紙

ローマ教皇ピオ12世がナチスによるユダヤ人殺害について詳細情報を持っていたことが新たな書簡で明らかになった

ー>決定的なものが出てきたではないか

https://x.com/naoyafujiwara/status/1703171737847021641?s=12&t=BkmYS0-oEIhj8fcnM0BvoQ

ローマAP-新たに発見された書簡によれば第二次世界大戦当時の教皇ピオ12世はドイツ占領下ポーランドで毎日6,000人ものユダヤ人とポーランド人がガス処刑されているという詳細情報を信頼するドイツのイエズス会士から得ていたという。

今週末イタリアの日刊紙コリエレ・デラ・セラに掲載されたバチカン公文書館からの文書はピオスの遺産と現在頓挫している彼の列福運動についての議論をさらに煽ることになりそうだ。

歴史家たちの間でピウスがユダヤ人の命を救うために静かな外交を行ったと主張する支持者とホロコーストの中で沈黙を守ったという批判者の間でピウス記録について長い間意見が分かれていた。

Corriereはバチカン使徒公文書館の研究者でありアーキビストであるジョバンニ・ココがピウス教皇の教皇職に関する新たに公開されたファイルに関する近刊の本の中に含まれているドイツ人イエズス会司祭からピウスの秘書への1942年12月14日付けの手紙を転載している。

この手紙はカトリックの反ヒトラー・レジスタンス一員でありバチカンに極秘情報を伝えることができたドイツ教会関係者からのナチスによるユダヤ人絶滅に関する詳細な手紙であったからだ。

ローター・ケーニッヒ神父からピウスの秘書で同じドイツ人イエズス会のロバート・ライバー神父への手紙は1942年12月14日付である。

ドイツ語で書かれたこの手紙は親愛なる友人とライバーに宛てたものでナチスが戦前ポーランドにあった町ラヴァ・ルスカ(現在はウクライナにある)から毎日6000人ものユダヤ人とポーランド人を殺害しベルゼク死の収容所に移送していたことを報告している。

2004年にオープンしたベルゼク記念館によると収容所で亡くなったユダヤ人は合計50万人。

同記念館のウェブサイトによればラヴァ・ルスカ出身の3,500人ものユダヤ人が1942年の早い時期にすでにベルゼクに送られており12月7日から11日にかけて同市のユダヤ人ゲットーは清算された。

およそ3,000~5,000人がその場で銃殺され2,000~5,000人がベウジェツに連行されたとウェブサイトは述べている。

ケーニヒの手紙の日付が重要なのはピウスがバチカンへのイギリスとポーランドの特使からポーランドでこれまでに最大100万人のユダヤ人が殺されたという報告を受けたのと同じ1942年クリスマス3週間前に信頼できるイエズス会仲間からの手紙がピウスのオフィスに届いたことを示唆しているからである。

ピウスがこの手紙を見たかどうかは定かではないがライバーはピウスの最側近であり1920年代にバチカン駐独大使だったときに教皇に仕えていた。

ピューリッツァー賞受賞人類学者デイヴィッド・カーツァー著の戦争中のローマ法王によれば12月中旬バチカン国務院トップのドメニコ・タルディーニ司教はバチカンが情報を確認できていないためナチス残虐行為についてローマ法王は発言できないとバチカン駐在英国特使に語ったという。

この文書の新しさと重要性はホロコーストに関してピウス12世がドイツのカトリック教会からユダヤ人に対する犯罪について正確で詳細な情報を受け取っていたことが確実となったというこの事実から来ている。

1947年11月バチカンからのラジオ放送中にマイクの向こうに現れた教皇ピオ12世。

教皇は戦争で荒廃したヨーロッパのため食糧を節約したアメリカ国民を賞賛(AP Photo/Luigi Felici)

しかしケーニッヒは自分自身と情報を提供したレジスタンスの情報源の命を案じて自分が明らかにしたことを公表しないよう聖座に求めたとココは指摘。

来月ローマ教皇庁立グレゴリアン大学で開催される大規模会議ではピウス遺産と新たに公開されたバチカン公文書館からの暴露が議論される予定。

バチカンとイスラエルのヤド・ヴァシェム・ホロコースト研究所とアメリカのホロコースト記念館とイスラエル大使館とアメリカ大使館などが後援している。

バチカン国務長官ピエトロ・パロリン枢機卿は10月9日から11日に開催される会議開会予定。

この会議にはカーツァーとココそして2021年出版されたピウス12世とユダヤ人という自著でピウスとバチカンのユダヤ人や戦争から逃れてきた人々へのケアを称賛したバチカン国務長官アーキビストであるヨハン・イクスなどの研究者が参加する予定である。

ココ氏によればケーニッヒの手紙は実際にはバチカン国家事務局公文書館で発見されたものでバチカン主要使徒文書館に引き渡されたのは2019年になってからだという。

国家事務局書類は整理されずに散乱しておりピウスの文書の一部はプラスチック容器に入れられ熱と湿気で傷んでいる屋根裏の保管スペースに保管されていたからだ。

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